自分の存在を賭け、メスを握る
私は医師としてキャリアをスタートさせた時、ある「違和感」を感じていました。医学部を卒業する際、先輩たちから異口同音に「心臓外科医は大変だからやめたほうが良い」「不断の努力と天賦の才能がなくては無理だ」と忠告を受けた時のことです。医師としての可能性を見限るよう迫る、そうした言葉への嫌悪は、私自身をむしろ心臓外科に引き付けました。そして一回しかない人生、最も難関と言われる心臓外科医に挑戦してやろうと決意を固める足がかりとなったのです。
その後、研修医として経験を積み、オーストラリアやシンガポールでも修業しました。帰国後、34歳で民間病院の心臓外科部門を任され、心臓外科医として独立しています。独立後は心臓を動かしたまま行う心拍動下(オフポンプ)冠状動脈バイパス手術のエキスパートとして名前を覚えていただくようになり、病院を移るたび施設の心臓外科部門を一から作り上げる役割を任されるようになりました。
現在も私のもとには、連日のように他の病院で手術を断られた困難な症状の患者が訪れます。手術のスキルに対して信頼を寄せていただけることは喜ばしいことでもありますが、重圧も並大抵ではありません。しかし周囲の医師たちから『南淵先生にしかできない』、患者さまやご家族から『絶対に諦めたくないので先生に手術してほしい』と言われれば、断る理由はありません。自分の存在を賭け、メスを握るしかないのです。
これからも「実事求是」に
確かなキャリアを積んだ後も、同業者から投げかけられる言葉に違和感を覚えることもあります。「勤務医は給料が変わらないのに、なぜたくさん手術をするのですか?」「手術の数が多ければ偉いのですか?」といった言葉です。心臓外科医にそんな質問をするのは、野球選手に『なぜホームランを打つのか』と聞くようなものでしょう。医者になってから、目の前に次々と病人が現れ、一瞬の達成感に導かれながら、ひたすらに手術をしてきました。ただそれだけのことなのです。
医師の世界に限らず、『頑張る人』は異端でしょう。『働きアリの法則』のように、全体の2割程度かもしれません。人の能力には必ず格差があり、多くの人は意識的にも無意識的にも、その格差から目をそらし、実力が顕になる場を避けるものです。これは人間の普遍的な属性なのだと思うようになりました。
私はこうした人間社会への認識を「諦観」と表現しています。これは決して悲観しているのではありません。手術も、医療界に対する忌憚ない発言も、異端たる自分だからこそできることを周囲に惑わされず行う覚悟があるということです。
2015年には、民間病院から大学病院に移り教授に就任しましたが、その理由の一つとして後進の育成に深く関わっていきたいという思いもありました。しかし『育てる』という言葉は適切ではありません。人は勝手に育つもので、私は人が成長する環境を作り、後押しするのみだと思うからです。有能で活気に満ち、私を軽く超えるような『とんでもない人』を世に送り出し、医療界の循環を良くしていきたい。私が死んでも、優れた物事がたくさん現れるようになればよいと思っています。
そして常に心に期すのは「実事求是」という言葉です。自分の目で確かめた事実を信じ、一つひとつ積み重ね、真実を究明する姿勢です。だからこそ私は今日も、目の前の現象をつぶさに見つめながら、今、自分にできることに全力を注いでいるのです。