現在の仕事についた経緯

元々、高校卒業後は美容師になろうと考えており、働きながら通信で学んで免許を取得しました。
しかし、母が体調不良となり、あらためて家業の縫製工場を見つめ直す機会があり、家業を手伝ううちに継ぐことを決心しました。

仕事へのこだわり

大切にしているのは「職人を育てる」という点です。たとえ素人からだろうとお金や時間がかかろうと、必ず工場の中でものづくりを完結できるだけの職人を育てないとダメだというのは、母からの教えです。
縫製の工程を切り出して熟練の内職さんに低単価で外注するのはよくあることで、コスト面では企業努力と言えるのかもしれません。しかし母は「外注に頼りきったものづくりをしていると、10年後にものづくりができなくなる」と再三、言っていました。

この30年。業界内で若手を育てられず、縫製の単価も上がっていない理由の1つは、目先の安さだけをとった企業が、高齢の内職ばかりに頼ってきたことがあると考えています。その人たちがリタイアし、どこも人手不足で困っています。
弊社は10年前から外注はしない方針で、お金も時間もかかりましたが工場の中で職人を育ててきました。生産がピークになる時期には人手不足で困ることもありますが、モノがつくれず困ったことはありません。
外注をすべて否定するつもりはありませんが、弊社が10年前に外注頼みにしていたら、自社ブランドの運営はできていなかったはずだと強く思います。

「職人は探すのではなく育てろ」「全員が職人であれ」
ものづくりを長く続けるためのマイスタイルです。

若者へのメッセージ

私が伝えられることは多くはありませんが、ひとこと伝えるならば、『わたしたちは微力ではあるが無力ではない』ということです。
創業から半世紀、祖母と母が作り育てた会社の危機に入社をしました。人より少し多くの絶望と苦しさを味わっているかもしれません。行動をするまでにも時間がかかりました。それでも、背水の陣で行動をしたとき、様々な可能性が生まれ、多くの方が応援し、支えてくださるようになりました。
上手くいかないことが多いときは、自分の力の無さを感じて苦しくなってしまいます。それでも、『わたしたちは微力ではあるが無力ではない』ということキチンと自分自身の中に持っておくことができれば、少し前を向けるような気がします。