家族との確執、起業から家業の継承へ

メーカーで3年半の経験を積んだ後、父が経営する旭酒造に入社することになります。ですがある日、突然父から「お前は明日から出社するに及ばず」と言われてしまいました。きっかけは今では思い出せないほど、ささいなことだったと思います。私は東京に出てメーカーの営業を経験した一方、父が営んでいたのは田舎の酒蔵。私は父が狭い世界の中にいるように見えて、徐々に認識がすれ違っていったのです。その後、反骨精神もあったので桜井商事という石材卸業の会社を設立しました。酒造業から離れて取り組んだ結果、年商を2億円にまで伸ばすことができたのです。しかし、1984年に父が急逝してしまったため、再び旭酒造に戻ることになりました。

「酔うため、売るための酒でなく、味わう酒を求める」

社長に就任した当時、旭酒造は第一次焼酎ブームにより逆風をうけ、年商が前年度比85%と厳しい状況でした。新しい商品を看板商品としたのですがうまくいかないこともあり、安価なお酒から品質重視へと方針転換し、獺祭を作り上げました。社会が何を必要としているかを理解し、提供することができれば会社は成長していけることを実感しました。安価で大量生産可能なものではなく、よりよい生活、より楽しい生活、よりおいしい生活をお届けする。これは今後の日本で問われていくことだと思います。また、これだけおいしいお酒ですから、日本だけではなく海外のお客様にも飲んでほしい。日本の伝統だから飲んでほしいのではなく、美味しいから飲んでほしいのです。おいしいものに国境はありません。みんなが笑顔になるお酒造りをしていかないといけないですね。

若者へのメッセージ

皆さま方には、人生は好きか嫌いかで決めてほしい。それこそが幸せな人生を送る武器になるのではないかと思います。社会や世界は皆さま方のことが好きなのです。決して排除しようという気はありませんから、ぜひ社会や世界を信じて、自分の好き嫌いに基づいて前に進んでいただければと思います。