現在の仕事についた経緯
小林製作所は1919年に祖父の小林賰三が創業し、当初は船舶や繊維機械のボルトの製造が主力でしたが、時代の変化とともにボルトの需要が減少したため、2代目の小林康治が事業分野を板金・塗装にシフトしました。
当時の業態は少品種大量生産でした。1980年代にパーソナルコンピューターが普及し始め、当時まだ学生であった私が、コンピューターの可能性に気付き、プログラムに興味を持ちました。コンピューターの仕組みの解明と事務業務の効率化のため、自作のオリジナルの受注管理ソフトを開発し、当時社長であった父である小林康治の同意を得て同社に導入しました。
大学院卒業後、三菱重工業株式会社に入社し設計業務に携わるも、父が病気となり3年で家業を継ぐこととなりました。機械部品製造の社長とシステム開発のプロジェクトリーダーの二つの視点を持つ経営者となり、21世紀の潮流に乗ることができました。
仕事へのこだわり
40年前より工場の製造・販売業務をコンピューターシステムを活用することにより、合理化、効率化、収益性の向上を中心に据えるというスタイルでした。
歴史を振り返ると、40年前は資金力もなくソフトウェアシステムも高額であり、ソフトを自分で創るしかありませんでした。昼間は現場で社員と共に製造部門を支援し、色々な改善点は夜間に開発し、工場で新たな運用をするということを続けてきました。工場の人間力は中々零細企業には求人することができず、自動化設備も資金力がなく十分にできませんでした。
そんな中で自分ができることと言えば、夜間にソフトを開発し現場に利用していくことで収益性を高めていくことでした。当初はOSがなくBASICで作成しましたが、時代が変わり、MSDOS、Windows3.1、Windows95…と次から次へと新しいシステムにバージョンアップされ、その対応に苦労しましたが、現在まで拡張しながら進化・成長させることができました。ハードウェアも年々進歩しており、何もしなくてもパソコンを交換するだけで毎年30%の効率化が図れました。生産用のソフトも改良することにより他社よりも材料費が10%ほど節約でき、加工時間も15%ほど短くできるので、これらが相まって工場の現場力は弱かったですが会社の競争力が強くなりました。
2000年代に入るとインターネット時代となり、ソフトの範囲も急激に拡大し、自分自身も40歳となり世の中的にはソフト開発には向かない年齢となったので、市販のソフトに置き換える模索も併せて始めましたが、新たに図面管理ソフトを開発したためその便利性がとても良く他社に乗り換えが考えられなくなり、もうしばらく現行のシステムを開発・利用していました。
更に新しく改善カメラSopak-Cの開発・販売を始めると新たな生産革命が社内で起き生産性が大きく向上しました。
このようなハードウェアの進歩をいち早く社内で活用することで、大きな潮流を生み続けました。
若者へのメッセージ
今時代は複雑化し利己主義・刹那主義・拝金主義ということがはびこり世の中が大変なことになっています。
戦争・社会問題・国際問題もこのようなことから来ており、私たちはこれから世界がより幸せな社会になるように考え行動することが必要です。
日本には本来色々な道がありました。華道・茶道・武士道などそこには正しく生きる道を示していました。時代は変わっていますが、今もなお自分自身の中にしっかりと正しく生きるということを定めていく必要があると思います。
これからもこの流動的な時代は続き、良いことも悪いことも次々と私たちに押し寄せて来ます。そんな時、しっかりとした心構えが必要です。これを「人の心革命」と私は思っています。
今、当社ではロボットを中心とした設備力による「自動化革命」とコンピューターシステムによる「ソフト革命」、そして社員の人間力を高める「人の心革命」という3つの力が必要と感じ、実践しています。
18世紀にはじまった「産業革命」より200年経ちましたが、これからの情報化社会をより良くするための「自動化革命」と「ソフト革命」そして「人の心革命」という「3つの革命」力が必要と感じています。
共に良い日本、良い世界を創っていきたいです。