学生時代

大学1年の時にスタンフォードに留学しソーシャルイノベーションを学びました。体が弱くアレルギーもひどかったので、当時はコンプレックスだらけでしたし、両親が離婚しておばあちゃんに育てられたこともあり、弱い立場の人たちの気持ちがよくわかるようになったんです。それで「社会に良い影響を与える仕事をしたい」と思うようになりました。
でも、現実的にはNPOだけでは厳しい部分もあって、「社会に貢献しつつ、ちゃんと稼げる仕事はないか」と模索していたところ、ビジネスプロデューサーという職業に出会いました。この道なら社会に貢献しながらビジネスマンとして資本主義の中でも生きていける。そう思い、28歳で起業することを決意しました。

なぜこの領域で起業したのか?

なぜ今前職とは関係のない人材事業に携わっているのかというと、自分の強みと社会への影響がマッチしたからです。僕の人生って結構波瀾万丈でして。昔からどん底にいる状態、偏差値も36しかなく学年の最下位の状態から泥臭く努力し這い上がる、そんなことを繰り返してきました。営業も同じです。全くの未経験で何もできない人たちを引き上げることが得意なんです。前職では、24、5歳の時に10人ほどのチームをマネジメントしていました。その中には、他のチームから「ブラックリスト入り」されていたメンバーもいました。営業でアプローチもしないし、商談もせず、適当にカラアポを入れるようなメンバーもいたり。「なんでこんな失礼な態度ばかりなんだ?」と思い面と向かって話を聞いてみると、彼の家庭環境が関係していることがわかりました。両親がいなくて、祖父母と暮らしていて、弟は警察官でしっかりしているのに対し、「お兄ちゃんはダメだ」と言われて育ったそうです。体育会の部活もあまり厳しくなくいじられキャラだったので、上下関係も知らないまま成長したとのことでした。そこで、彼は悪気なくその対応になっていることがわかり、「じゃあ俺が全て教えてやる。」と誰よりも正面から向き合って指導したんです。言葉遣い、勤務態度、細部に至るまで口酸っぱくしつこく指導しました。すると1ヶ月後にはその子がMVPを取るまでに成長したんです。僕は、そうやって人を引き上げて立たせるのが得意で、それが好きだったんです。誰だって良いものは持っている。あとはそれを引き立たせる人と環境が必要なだけ、そう思うようになりました。

2022年2月に起業を決意して、当時勤めていた会社の上司に「辞めます」と伝えた時、「お前、何やるんだ?」と聞かれたんです。僕は当時「何か大きなことに挑戦したい」と答えました。すると上司から「それならお前が今までやってきたみたいに、営業特化の木島塾みたいなのを作ってみたらどうだ?お前のマインドが伝わってる子が来たらうちの会社も嬉しいなぁ!」と言われたんです。確かに、前職では営業チームを率いて全然成果が出なかったメンバーをMVPにまで育て上げた経験がありました。その言葉がきっかけとなり、「人を育て、活躍する営業マンを増やす。」ことに特化してみるのも面白いな、と思ったんです。
そこから、これってどんな仕事かなと探した時に見つけたのが人材紹介事業でした。完全未経験でビジョンだけを元に立ち上げた事業ですが、今では心強い仲間と一緒に取り組み、日々充実感を感じています。

若者へのメッセージ

会社を経営していると、「いつ死んでもおかしくない」という覚悟を持って毎日を過ごしています。僕自身、バイク事故や過労で倒れた経験がありましたが、その時、「まだやるべきことがある」と感じて、何度も立ち直ってきました。
バイク事故を起こした際に母親から「挑戦する時、周りは『無理だ』とか『危ない』と言う。そんな時に一番支えになるのは過去の自分。だから、未来の自分に恥じないように生きなさい。」と言われました。この言葉が僕の座右の銘になっており、今でも重要な原動力になっています。
自分の弱さと向き合い、それを受け入れて乗り越えることで、本当に変わりたいという気持ちが生まれます。そして、変わるためには日々の努力が必要です。半年、1年と努力を続ければ、必ず結果はついてきます。僕もそうして成長してきましたし、今はキャリア支援を通じて他の人の人生を変える仕事ができています。皆さんも、自分を信じて挑戦してみてください。