“毎日旨くて安い店”を体現し続けていくために

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現在の仕事についた経緯

1975年10月、父が26歳の時に1人で高円寺に『居酒屋一休』を立ち上げたことがすべての始まりです。
創業時から母が経理を担当して父と二人三脚で一休を育ててきました。
私自身はもともと、プロ野球選手になろう!と考えていましたが、高校進学時に野球が強い浦和学院に推薦で行けず、
家業が居酒屋だったことから商業高校に進みました。
高校卒業後は1年間、大阪の辻調理師専門学校に通いました。私が通っていた専門学校は学費が高く、親には「学費を払ってくれたら、生活費は全部バイトで稼ぐからいいよ」と伝えたところ、本当に仕送りが1円もなく、1日100円~200円の生活が1年間続きました。
大阪では串揚げ屋でバイトをしていたので、当初、就職は串揚げ屋を考えていましたが、初任給が約13万円であることに驚きました。このまま生活を続けていくことは厳しいと考え、それならば一度経営を学んでみようという考えで家業に入ったことがきっかけです。

現在の仕事への想い

今の自分があるのは、一休があるお陰です。
従業員、取引業者様、そしてお客様を裏切らないためにも頑張ろうと社長を引き受け、今も尚その気持ちは揺るぎません。
父と母が創業当時から二人三脚で支え合い、歴史を紡いできた「一休」を守りながらも、変化する時代に対応し続けていきたいと考えています。
ただ売上を上げる商売は終わったと思っています。居酒屋でも何か変わった事をしていたり、SDGsや社会貢献をしている会社だということを地域の人に知ってもらいたいです。
ふるさとである東村山市をはじめ、従業員や取引企業様に恩返しをし続けていくためにも、先んじて新たな取り組みに挑戦し続けていきます。

今後の展望

地域貢献をしていきたいです。本社近くで土地を買い、少しでも町が恰好良く見えるような店づくりをしたいと思っています。
そのためにはまず会社の利益を生み出し、従業員を幸せにしなければなりません。
利益を出しながら社会貢献・地域貢献の両方ができる企業であることが重要であり、そういった会社が必然的に長く続く企業になると考えています。また、昔から社員はファミリーだと教わってきましたので、今後も大事にしていきたいです。
父と母のわが子のような会社を守り、発展し続けながら、自分の家族も守り続けていく。
社長であり、父親である私は、子育てをしながら社長業をするというのが今の生き方です。