現在の仕事についた経緯
18歳で工場に就職しましたが、年功序列制により、仕事で手を抜いているような上司が自身より給与が高い実状に憤りを感じ、実力社会の地元に根強い競艇やオートレースの選手を目指そうと考えました。しかし3交代勤務の毎日では、トレーニングのための時間がなかなか捻出できずに困っていたところ、たまたま読んだ本の中に「ビジネスオーナーになれば、自分の時間はできる」とあったものを目にし、じゃあビジネスオーナーを目指そうと考えたことが起業を志したきっかけです。高校時代の友人を誘って、イベント会社「SEGNAHC(セグナーク)」を立ち上げましたが、2~3年ほどまったくうまくいかず、その後は光回線の訪問販売をする会社と提携し、事業に取り組みました。光回線の先方様からの歓迎会の帰り道で共同経営を始めた相方が交通事故に遭って急逝してしまったことから、責任を重く感じた私は、レーサーになる夢を捨て、会社を大きくすることで恩返しをしようと決意を固めたのです。その後、浜名湖パルパルにて開催した「泡パーティー」が来場者数1万人を超える恒例イベントとなったことで、その目標を果たすことができました。
株式会社This is meを立ち上げたのは、「SEGNAHC(セグナーク)」=イベント会社というイメージが定着してしまったからです。バングラデシュの方とのご縁があり、現地の工場を利用してユニフォーム事業に着手する予定だった私は、別会社をきちんと立ち上げてブランディングを図った方がよいと考え、2019年に弊社を立ち上げました。
仕事へのこだわり
「静岡県で若手ビジネスパーソンを最も輩出する会社」をモットーとして掲げています。「This is me」という社名は、大好きな映画である『グレイテスト・ショーマン』の主題歌から取ったのですが、「これが私」と胸を張れる人達を多く生み出したいという思いもありました。静岡県浜松市は工業地帯ということもあり、学校のクラスの半分程は製造業に従事します。しかし東京の友人達に会えば、弁護士や起業家、エンジニアなど、その職種は多岐に渡ります。人生は人それぞれですし、製造業で働くことが不幸だというわけでは決してありません。しかし、もし地元の小さな世界しか知らないが故に、望んでもいない環境に身を置いて毎日辛い思いをしているのなら、私は1人でも多くそんな人達に「これが私だ」「私が主人公なんだ」と自分らしく生きていただくために起業という道を示せる経営者でありたいと考えています。
若者へのメッセージ
まずは、自分らしくあってください。昔は階級制度があったことから、収入の差はイコール身分の差でした。いわば生まれたときから身分や人生が決められていたのですが、そこから福沢諭吉が現れて学歴社会になりました。では現代はどうでしょうか。極端な例で言えば、東大を首席で卒業した方より、中卒のYouTuberの方がより多くの年収を稼いでいるといった現象があちらこちらで起きています。私は学歴を否定するわけではありません。勉学もとても大切なものだと思っていますが、ただお伝えしたいのは、現代は社会人になってからいかに努力できるかで自分の望む人生を実現できる、非常に恵まれた時代だということです。したがって、皆さんのように若い方であればなお、常にチャレンジする姿勢を持ち、個人の能力をしっかりと確立させてほしいなと思います。