現在の仕事についた経緯

不登校生徒数が年々増加し、日本全国で24万人を超えた頃、当時勤務していた勤務校でも、学年に不登校の生徒だけで1クラスできるくらいの人数がいて、自分のクラスにも4人の不登校生徒がいました。金八先生の「腐ったミカンの方程式」というエピソードに感動し教員になって25年が経ち、不良生徒の数が減って学校は落ち着いたけれども、代わりに不登校問題が生じ、何かもっと自分にできることがあるはずと考え、教員を退職しました。そして、教員時代に「が~まるちょば」のお2人を学校に呼んだ時の子供たちの喜びようを思い出し、大学の親友であるケッチくん(元が~まるちょばの赤モヒカン)に連絡を取り、学校公演のプロデュースを始めました。

仕事へのこだわり

元教員の経験を生かし、子供たちや先生方のニーズに合わせたプログラムを作成しております。英語科教員時代も、世界中の人々とコミュニケーションが可能となるツールである「英語」に子供たちが惹かれ、興味をもつような工夫を取り入れ、「楽しめる授業」を実践していました。そのポリシーのまま、子供たちが楽しみ、喜んでくれる学校公演を制作しています。また子供たちと一緒に先生方も楽しめる場面を設けています。子供たちと先生方が一緒に1つのことを楽しむのは楽しい学校作りにとても大切なことだと思います。また、各プログラムに必ず体験学習を取り入れ、受け身で終わらない参加型の公演にしています。
更に、不登校未然防止策となるよう、各アーティストに子供たちが前向きな気持ちをもつことができるようなMCをお願いしています。実際に自分の夢を叶えている方々の言葉は大変重みがあり、子供たちの心に響きます。
公演後の子供たちの感想を読みますと、「学校に来てよかった。」「悩みが吹っ飛びました。」「元気をもらい、やる気になりました。」「私も頑張ってみようと思います。」「とても楽しかったです。」という感想が多く、その効果を実感しています。

若者へのメッセージ

25年間務めた教員を辞め、50歳を過ぎて「学校公演のプロデュース」という新事業を始めました。その私が大切だと思うことは「情熱と人脈」です。教員時代にブラックで大変だからといって手を抜いて仕事をしていたら、今の事業は成り立っていないと思います。教員時代に担任、部活顧問、授業など、どれも一生懸命に取り組んでいたからこそ、その時の情熱を買って、今仕事を依頼してくれる先生方もいます。
また教員時代にお世話になった先輩や同僚が新たな先生を紹介してくれることも多いです。情熱をもって公演を実施すると、リピーターになってくださる学校様も現れます。情熱をもって何事にも取り組むと、応援してくれる人が増え、その人脈が人生の財産となります。