会社紹介

ゼンシン合同会社は、広告業界で映像制作を中心にデジタルコンテンツ全般を制作するクリエイティブスタジオです。
ゼンシンの信念は、どのようなコンテンツであれ、価値のある形で提供することです。
企業の営みや、そこで従事する人々とは、その時点で既に大きな価値が内在されていると考えるからです。
この前提に立つと、広告ひとつとっても企業や従業員のみなさん、取り扱うソリューションや商品のことを出来る限り深く理解し、
それらをあますことなく的確に表現すべきなのは自明です。それがゼンシンです。

仕事へのこだわり

映像業界にはクリエイティブディレクターという職業がありません。ですので、自分がなろうと思いました。
クリエイティブディレクターとは、いわゆる広告業界においては、広告の監督になります。
しかし私の場合は、創造性の監督という意味で名乗っています。
とはいえ真の創造は人間には不可能ですから、現状私たちが「現実」と呼んでいる世界が、
何者かによって創造されたものであることを認識しつつも、より良い状態を想像し推移させることに尽力しています。

具体的には例えば映像制作では、企画、構成、撮影、編集、MAなどの基本的な作業は勿論のことですが、
ゼンシンの場合はさらに根本的な以下の3点にも注力しています。
①ユーザーの求めているものや、企業の理念を極限まで理解しようと努めること
②映像と生体反応(脳波、神経、電位等)の相関を研究し、解明された要素を映像に転用すること
③映像以外のコミュニケーションメディア(本、音楽、ゲーム等)の方法論を映像に転用すること

主に①と②になりますが、例えば都市構想において、建築物を建てる前段階である街づくり自体の意味や価値を深く理解し、
建築物の構築としての論理的アプローチ、人の住まいとしての感性的アプローチ、この2つの考えを高度に融合させる設計士役と、
建築する土地自体のパフォーマンスを最大化する霊媒師役も担っているようなものです。

この部分は本来映像監督のメインの業務であるはずですが、
現状は企業の担当者や広告代理店、コンサルタントの皆さんが担うことになりがちです。
しかしながら、常態化しているので何らかの理由こそあれ、発注側が受注側の業務を担うというのは単純におかしな話です。
そこでゼンシンは、本来当たり前のことではありますが、映像制作においてこの設計士と霊媒師役という本来の監督業も担うことで
真に価値のある映像を提供することを実現しています。

当然、複雑怪奇なインスピレーション、厳密性が求められるサイエンス、職人の作りこみという
一見まるっきり関係なさそうな3つのレイヤーを統合するのは、そう一筋縄にはいきません。
それぞれが全く違うシステムで動いていますし、絶妙にお互いのシステムが相互作用しあってもいます。
しかしながら、オーダーメイドの本質はここにあるわけですから、やらないわけにはいかないのです。

実際のところクライアントの皆さんからは、
「理念を可視化できる制作会社があるなんて信じられない」
「短い映像なのにまるで映画を見ているみたい」
「なんでこんな映像を作ることができるの?」
といったありがたい言葉をいつもいただき、大きなやりがいを感じています。

「ジャパンクオリティ」についての取り組み・考えなど

日本が誇る品質とは、持続可能性を超えた循環的思考、生命中心の設計理論、そして極限まで追求された完成度の融合であり、
その真髄とは、人間が想像しうる限界まで考慮し尽くされた上で作られていることといえるのではないでしょうか。
例えばプロダクトひとつとっても、機能性がある、見た目が整っているといったことだけではなく、
使用者の生物学的特性までも考慮に入れた、全方位的なアプローチによって完成しているといえるかもしれません。
人間工学に基づいた設計や、五感に訴えかける細やかな配慮など、人間の心や身体性を起点に考える思想が
実に隅々まで行き渡っていると思います。

しかしそれゆえに、それらに携わる企業や従事する皆さんの思いも含めて正確に伝えるということも容易ではありません。
また、現代は取り扱う領域が実に広く、大きく、深いので、現代では単純なプレゼンテーションや文章だけでは不十分なのです。
そこにはやはり映像やインタラクティブなメディアなど、より表現自由度の高い情報伝達装置が必要不可欠です。
したがってゼンシンは、企業のKPI達成は勿論ですが、視聴者の身体的・精神的wellbeingも最大限に考慮し、
何度見ても価値を体感できるような、真に価値ある映像制作に取り組み続けています。

若者へのメッセージ

近年の民主化のひとつの特徴として、苦手分野における克服技術の積み上げという部分があったかと思います。
実に素晴らしい一面もありましたが、勿論、負の側面もあります。
そのひとつとして、専門分野の過剰な発達により、自分の知らないこと、できないことへの認識を不必要に強め、
人々の感性や行動を制限してしまった点です。

しかしそのような中、AIの登場によって、今後は知識や再現性がある程度担保されていくため、
心の制限は不要になり、思考がより自由に拡張されていくでしょう。
しかしそれは同時に、「あなたは一体何者なんですか」という問いに直面することでもあります。
つまりこれからは、テクノロジーを使いこなすのは勿論ですが、
答えではなく、問いそのものが主体である「哲学」が重要になります。
なぜならAIの登場によって、言葉であれ言語以外の表現であれ、それらの根源にある自分自身の価値観であれ、
全ての質は、生きている目的の定義とその認識深度次第となるためです。

したがって、成功か失敗か正しいか誤りかといった、統計的ないしは常識的な判断基準や、
比較できるような狭い領域の判断基準から考えるよりも、そもそものあなたが生きている目的の定義ないしは
その元となるものが何なのかを自分なりに研ぎ澄ませていくことの方が遥かに大切です。
そのためには、何事も全力で実行することをお勧めします。
なぜなら物事に対して全力で対峙すると、自分に対して一切の言い訳や妄想の余地を残さない状況設定を作れるので、
より深い自分の個性に対しての精度の高い情報を得られるからです。
それは本質的な情報ですから、自分自身の進化と共に、高い次元での社会性も獲得していくことになります。
つまり、本当の意味での自由を手に入れていくことになります。

自分も最近ようやく定義できましたが、
ようはなるべく楽しく(≒持続可能性)、自己否定(≒目的や定義のアップデート)を続けることが、
成長し続けるための良い方法のようです。