現在の仕事についた経緯

令和5年1月6日に1代目会長が亡くなった事を皮切りに、徹底的に相続関係処理に取締役としての使命を果たすべく、何が父方の祖父であり会長の1代目が幼な子な私に、種々の言葉を創り吐かざるを得ない経緯に至ったのか?
その苦悩の最根底は何であったか?を追求した結果、取締役としての業務も柔軟性を広げ、結果的に独立起業し、両親の存在そのもの自体が偽りの塊であるという結論に到達しました。そして以下4点が具体的な経緯となります。

1、母方の祖父母が何故遺言書を何枚も割印まで残す結果となったのか明白となり、父方の祖父も遺言等を私に残しましたが両親共々で破棄した意味や、父方の祖母は渡辺写真館を経営しておりましたが、土地家屋が無くなり経営を断念せざるを得ない状況となった苦悩を正確な角度から理解する為。
2、私の両親は人間なのか人間ではないのかを考える為。
3、私共が独立起業し、両親が悪のすり替えを何故1代目にし続けなければならなかったのか?状況、旧社の実態や、諸々の悪のすり替えに伴う心理状態等、客観的に鑑みたいという研究の為。
4、葛飾区に先祖代々のご縁があると感じた為。

仕事へのこだわり

仕事にこだわりはありません。
何故なら旧社、株式会社アオキスイーパーは昭和45年設立以来、同族会社であった為、先祖代々の価値観を前提に、9歳頃から会長の後継者になるべく、至らないことばかりですが、私には自分自身の人生の精進の日々と業務上の仕事の境界線がないからです。

しかし、こだわりではなく大切にしなければならなかった事は、元来両親や家族については、平成14年頃に1代目父方の祖父の会長より「家族は敵だ」「全てを疑え」等のご鞭撻があった為、業務上の家族としての関わりとしか視野に入れておらずあくまでも家族は第三者な為、両親の虚言、虚偽に巻き込まれないように、私は個人でありつつも業務上の家族であるというバランス感覚を保ち続けることです。

主な仕事内容としましては、9歳頃から経営に於いて鋭角に踏み込むことは当然不可能ですから、可能な事としましては、経営陣である両親を監査しつつも、両親に衝突がある際は、具体案を可能な限り私が提示し仲裁させて頂き、柔和且つ健全な両親の夫婦関係の調和を保つ事でした。

更には、母と父方の祖母の嫁姑問題の一定の解決を保つ為には、更に両親の祖父母の伝統的背景を学ぶ事が最初の実務となりました。
会社経営に於いて、倫理観、経営観念が株式会社アオキスイーパー1代目である父方の祖父である会長と2代目父との間で、衝突・相違し2代目である父に伴い母も誤った解釈をしている時代背景が永らく続きました。

他には仕事以外に人生の修練も必要と考えます。父方の祖父であり1代目会長から2代目である父にある日、「お前にやる遺産などもうこれ以上ない」といった内容があった様で、その事象に伴い、遺言、遺言書に対する倫理観を父が失ってしまい、平成24年3月16日母方の祖父が亡くなり、後に相続問題となりました。
私共は可能な限り柔和かつ穏便に、母方の祖父母に対しての相続問題を整理してまいりました。

その後、母が母方の祖父母が所有している不動産の賃貸部分の賃貸費用を回収する係となることを契機に、私共が先祖に対しての恩返しの一心で何かできないか?と考え、そして形となったのが賃貸借契約書の作成です。

又、具体的に株式会社アオキスイーパー第二工場の売上高から人件費、諸経費を計算させて頂いたところ大幅な赤字であった為、株式会社アオキスイーパー経営存続の為に止むを得ず閉鎖、駐車場一台分廃止、お車代も廃止を2代目である父に切に説明いたしましたが即座に実行には至りませんでした。

当時、株式会社アオキスイーパー第二工場のある職人様がお作りになられる金属ブラシのを見た際、私は思わず感動し涙が出ました。金属ブラシの域を超え魂が宿っている様に感じた事や、伝統工芸品である事を直感的に確信したからです。
美しいお人柄、職人様がお創りになられる中には魂が存在する事から、人間そのもの自体が魂を宿した「何か」を創り出すことを直々に言葉を介さずお姿で私共々ご鞭撻頂きました。

その後、2022年10月15日にエコブラシに携わる人件費、修理費、諸経費を私共で計算させて頂き、機械が老朽化していたため1年間稼働しなかった場合も当然想定しなければなりません。
金額を計算し相当多額な赤字であった為、エコブラシ(大)は廃止に至りましたが、エコブラシ(小)は父は相変わらずユニークな所がある為続けたい様ですので、無駄なことも大切と別途文書と口頭で私なりに譲らせて頂きました。時には譲り合いも大切です。

また、廃止だけなら会社の士気を下げるだけになる可能性があり、人間として人情味に欠け、会社の本来が持つ循環性も失うと感じました。
ここで、2代目である父がその職人様がお作りになられる伝統工芸品をその場でわざわざ周りに聞こえるように曖昧な否定しており、穏やかな話ではない為、私は母にその職人様をとても大切にする様に伝達指示を出させて頂きました。

その後、その職人様に癌が見つかる事となり急逝してしまい、もう少し閉鎖が早く行われていれば今現在でもご存命されていらっしゃったのではないか?と歯痒い限りです。救える可能性のある命があった事自体が残念です。

若者へのメッセージ

人間は何もないという感性、知性や状態が自然であるかもしれません。
存在したからには、形を変えながら消えることとなる事を数多く経験させて頂いたからです。
しかし、人間が生きていく上で知見し、見識を得て最終的に魂を伝える手段として言葉となるのが遺言、ある一定の形となるのが遺言書となるといった考え方に現状至りました。
ここまで先人が頑張っても消えるものは抹消されます。人間は不老不死ではない為、当然平均寿命というものがあります。
即ち、極論人間自体が歩く遺言書とも考えても良いのでは?という考えを提示させて頂ければと存じます。

表面的表現に映ってしまいましたら大変申し訳ございませんが、博識高い本当の先生方、豊な知的財産をお持ちになられていらっしゃる方々がご存命な今、少しでも早く興味の赴くままに色んな言葉に出会って頂きたく存じます。
言葉を頂いた時の言葉の本質的な意味は、各々がどう人生を生きていくのかにより変化し続け、より稀有なものとなると信じております。