現在の仕事についた経緯

道産子2世であった祖母の存在が大きなインパクトとなっています。祖母は函館出身、当時珍しい小児科女性医師として夜中の往診もこなしていました。まだ幼稚園児であった僕を随伴して往診に行った時、「病気になる時間を患者さんが選べないでしょ」と優しい眼差しで囁かれたことを今でも鮮明に覚えています。その祖母が業務中に昏睡となり数日で亡くなりました。その時に周囲にいた身内に、「おばあちゃんは脳の病気になったから助からない。治療しようがない」と聞かされ、脳外科をなんとなく意識したと思います。
医学部進学後は小児科医か脳神経外科医を迷っていました。そんな時ご縁で人生最大の恩師になる中村記念病院(札幌)創業者の中村順一先生と偶然に出会い、人生が激変しました。また手術の技術的なこと、救急施設のリーダーとしてのあり方やチームビルディングの重要性については、順一先生のお弟子さんである函館脳神経外科病院創業者西谷幹雄先生、中村記念病院元診療本部長中川原譲二先生、神戸市立中央市民病院元部長坂井信幸先生に強烈なインパクトを受けたことが、今も外科医としての現役アスリートと経営責務を二刀流で継続できている最大の幸運の源泉です。

仕事へのこだわり

僕自身の自負としては「現場の叩き上げである」ということです。これは自分にとっても大きな自信の源泉にもなっています。恩師の順一先生の考えに大きく影響を受けており、技術は持っていて当たり前、医療を知的サービス産業として強く認識しています。全てにおいて優先は、第一優先患者さん、第二優先医師やコメディカルを含むスタッフの皆さん、第三優先として経営責務のある自分の事案、という感じです。MBAの修得はギラついた視角からではなく、自身の現場業務や手術技術修得、子育て、家族との時間にできる限りの時間を使いたい(=経営に埋没したくない)と言う防衛的視角から修得しました。
さて、脳神経外科医師としての最大命題である手術については、アスリートとして理解しています。しかも、短距離ではなく長距離(自分自身の得意は短距離ですが。)ランナーである必要があります。技術は常に変化しますし、5年に一回程度はいわゆる「破壊的イノベーション」にも遭遇します。
僕的には新しい技術修得には明るい貪欲なスタイルであるべきと認識しており、それをエンジョイするメンタリティーは特に重要であると考えています。周囲のコメディカルや後期研修医師など、後進の医師にも同様な考え方を推奨しています。このため後述にも触れますが、業務においては患者さんファースト、第二がチームメンバーです。業務を外れれば何を置いても家庭第一、という根幹的価値観をしっかり熟成しておかないと、長距離ランナーとして、長く有益な知的サービス提供者にはなれないと思っています。そういう意味では永遠の未完成で、まだまだ道なかば、ゴールなんて作らず、「ずっと走っていくぞ〜」というスタンスでいます。

若者へのメッセージ

仕事(知的サービス産業)、そして子育てを含む家庭形成を兎にも角にも楽しんでほしい、と思います。その上で、若いうちにたくさん失敗や挫折もして、現場叩き上げな教育被曝による実のある成長を継続してほしいと思います。もちろんご家庭は何をおいても重要であり、その視角から当法人では男性職員の育児休暇、コメディカルはもちろんのこと、ドクターにおいてもお子様の進路指導面接や参観日、もちろん運動会などのお子様の行事にはできる限り参加して、子育てを楽しんでほしいと思っています。家庭という土台をしっかりと構築していく軸線上に、知的サービス提供者としての成長があり、患者さんにとって良質な、なくてはならない人材に昇華し続けられる素地があると思っています。
無謀に、というニュアンスではなく、コンパクトに人生を纏めず、失敗など恐れず、常に挑戦を楽しんでほしい、その軸線上で、ご家庭と患者さんにとって良質な人間に成長してほしい、そんな感じです
そう、「ゴールなんていらない、ピリオドの向こうまでずっと走っていきましょ!」というニュアンスです。